2014年3月1日土曜日

世界に冠たる企業を興した大経営者たちの共通点

【大前研一さんの言葉】 
松下幸之助さんは、尋常小学校を出てから丁稚奉公をして実学を学び、二股ソケットを発明、その製造販売で独立し、20代半ばでのちの松下電器を創業している。

この創立メンバーだったのが、松下さんの義理の弟で、のちに三洋電機を創業する井植歳男さん。井植さんは、高等小学校(現在の中学校)卒で、やはり創業は20代だ。

早川徳次さんは、丁稚奉公に励んで金属加工の技術を身につけ、シャープペンシルを発明。シャープの前身となる会社を興した。

本田宗一郎さんは、丁稚奉公先の自動車修理工場からのれん分けしてもらって独立し、成功を収めるも、修理の仕事だけに飽きたりず、必死で勉強して、ピストンリングの製造を始めた。これが本田さんの20代だった。

盛田昭夫さんが、井深大さんの誘いで、東京通信工業(現ソニー)の設立に参画したのも20代半ばである。盛田さんは大阪大学から海軍へというエリートコースを歩んだが、実家が造り酒屋で、もともと商売っ気のある創意工夫にあふれた人だった。

京セラを創業した稲盛和夫さんには、大学卒業後数年間のサラリーマン経験がある。だが、 硝子(ガラス)メーカーに入社するも、上司と衝突して数年で退社。すぐに仲間を集めて、新会社を設立している。

オムロンの立石一真さんも、配電盤メーカーに就職後、すぐに才能を発揮し始めるが、それを快く思わない上司と対立。やむなく会社を飛び出し、自分の考案した家庭用品をつくっては自転車に乗せて行商するという苦しい20代を過ごした。この経験は、あとになって創業する立石電機製作所(現オムロン)の経営に生かされている。

彼らは、サラリーマンにはなる気が最初からないか、あるいはサラリーマンになったとしても、短期間で上司と衝突して、結局は独立することを選ぶようなメンタリティの持ち主である。
ここで大事なのは、学歴は関係ないということですね。それと皆、20代で創業しているところが共通点と言えそうです。

サラリーマンって、”上司に言われたことを言われた通り”にこなせるかどうかを試されてるだけなので、サラリーマンとして仕事ができる能力と、経営者として仕事をこなす能力は全く別ということです。

 大前さんが言うには、このような経営者になれる素質を持った20代は世の中にごまんといるそうです。しかし、そういう人達はサラリーマンになった時に、”上司に言われたことを言われたままやる”「サラリーマン染色体」に染まってしまうそうです。これが、日本の企業に元気がない原因かもしれませんね。

【大前研一】50代からの選択【書評・レビュー】

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